小学三年生の娘の紹介
いつの間にか8歳になっていた娘。小学校生活をこれでもかとエンジョイする好奇心旺盛でおしゃれが大好きな女子に育っています。
友達も多く、いつも公園か家で友達と遊んでおり、習い事も積極的に取り組み、何事にも興味関心が強い子になりました。そして親ばかですが、かなり頭がいい・・なぜ私からこの子が生まれたのか謎なくらいお勉強ができます(笑)学校の成績表はオールAです。しかしそんな彼女は0歳~3歳までとても育てにくく、もしかして発達に問題があるのではないかと発達障害のサイトや本を読んでは彼女の特性と照らし合わせていました。
「超」の付く人見知りだった幼児期!繊細すぎるので忍者のような生活を強いられる
具体的に気になっていた点は以下の通りです
・生後4か月から3歳まで続いた「超」人見知り
エレベーターで他の人と乗り合わせたり、電車で他人と目が合うと火が着いたように泣き、どんな事をしても泣き止みませんでした。
私の両親にも吐くほど泣いてしまうので、帰省時は別部屋で食事、会わないように気を遣ってもらっていました。(いろいろ慣れさせる作戦は考えましたが、すべてが娘のストレスになっていたのは明らかだったので、成長して大丈夫になるのを待つことにしたのです)
2歳で参加したプレ幼稚園では一度も席に座る事ができずにひたすら私の抱っこ。名前を呼ばれると「私の名前を呼ばないでーー!!」と怒っていました(笑)
・場所見知り
人見知りに加え、場所見知りもひどく、リトミックやベビーマッサージなどには参加できず帰宅しました。
・偏食
これは今も悩んでいるのですが、とにかくどんな工夫をしても食べない・・。味を変えても触感を変えても、決まった物しか食べず、卒乳の1歳11か月までは母乳メインであげちゃってました・・。その後少しずつ改善し、今は給食のほとんどを完食できているそうです。給食で頑張っている分家での食事は残しがちですが、小3になってから食べる量も増え、おいしく食べられる食材も増えてきました。
・癇癪がひどい
言葉が出てきた1歳8か月よりかなり前から癇癪は多かったです。スイッチがどこにあるのかわからず、おそるおそる接する日々・・。一度スイッチが入ると長時間泣き止まず、落ち着かせるまで大変でした。周りの支えがなかったら育児ノイローゼになっていたかもしれません。
癇癪は年齢とともに落ち着き、幼稚園で癇癪が出ることはありませんでした。
今現在はほとんど癇癪を起すことはありませんが、自分の予想と違うことが起こると「ううーー」と自分の中で暴れる感情と戦っていることはたまにあります。
このように、初めての子育ては難ありのかなりハードモードで、まるで忍者のように隠れて生活していました。もちろん人見知りが収まるまではママ友なんてのもできず、地域のコミュニティにも参加できず、ひたすら孤独でした(笑)
繊細さんは将来どう育つのか不安だった
情報過多な現代は新米ママさんにとって不安な情報であふれています。
私も漏れなく不安に駆られ様々な情報を集めました。このまま成長したら、友達ができないんじゃないか、メンタルが弱い子が育ってしまうじゃないか、偏った食事で必要な栄養素が不足してちゃんと成長できないんじゃないか・・不安で不安でたまりませんでした。でも、気が付いたんです。不安がってばかりいても何も変わらない・・見るべきものはネットの情報ではなく目の前の娘!(なんかかっこいいこと言った!笑)
そう気が付いて、すぐに行動に移しました。いきなりこども発達センターに相談するのは気が引けたので、市の子育て相談窓口に相談しました。
子育て相談窓口から発達センターに繋いでもらいました
パパと私以外唯一娘が心を許していた義母に娘を預け、私一人で相談に行きました。そこで今まで不安に思っていた思いをぶぁ~っと言葉にして、とてもすっきりしたのを覚えています。誰かに聞いて貰いたかったのかな。
相談員さんは親身に私の話を聞いてくれて、一度発達専門の先生に診てもらいましょうということになり、発達センターを紹介していただけました。3か月ほど待ちドキドキの初診察!
臨床心理士さんの発達検査をなんとか受けたあと、医師の診察です。
医師には「この子は何かあるかもしれないね。そしてとても賢いよ。」と言われました・・・(笑)何かって何~~~!?って正直思いましたが、現段階で病名をつけたり、すぐに療育に繋げる状態ではなさそうでした。「また3か月後に成長を見せにきてください」とフッ素塗布感覚ですか!?くらいのほわ~んした感じて診察終了。正直モヤモヤは残る発達センターデビューでしたが、定期的に診てもらえることになり、心底安心しました。発達センターはおよそ1年半通い、特に何も診断はないまま「もう経過観察しなくて大丈夫でしょう」と言われ、あっさり卒業しました。
幼稚園で得た友達の存在が彼女を開花させてくれました
プレ幼稚園では席に座ることができず脱走し水槽を眺めていた彼女。ひたすら他人との接触を拒み続けてきた彼女。しかし入園の時は刻一刻と迫ってきます。正直「幼稚園通えないかも、、退園することになるかもな」なんて考えもありながら入園させました😂
入園してから数か月は、毎朝大号泣の大爆発。私がバス停のママさん達に挨拶しようものなら「誰ともしゃべらないでっ!!」と癇癪。かなりつらいスタートでした😭
しかし夏休み直前、彼女に変化が。
同じクラスで同じバス停のお友達ができたのです。人生初のお友達。
そこからみるみる娘は変わりました・・・!それはそれはまさに蛹から蝶への変化レベルの大変身・・・!
毎日笑顔で登園するようになり、友達もどんどん増え、積極的に行事へも参加するようになり・・私がついていけないほどに物事に積極的になったのです。
必然的にママ友も増え、私の生活も豊かになりました(娘が仲良くなる子の親御さんは本当に良い方ばかりで、一種の娘の才能だと感じています笑)
そのお友達とは3年間同じクラスで、一度も喧嘩することもなく、小学校が離れた今でも交流があるほど深い絆が結ばれました。
そんなこんなで彼女の発達への不安はどこかへ消え去り、私の子育て暗黒期も終焉を迎えました。
周りが見えていたからこその「人見知り」と「場所見知り」
娘に、前はなぜあんなに人見知りと場所見知りをしたのか聞いたことがあります。
娘は、自分が安心できるものか未知のものかを判別して、未知のものに対してとても怖かったと言っていました。危機管理能力がずば抜けて優れていたのです(笑)
当時は辛くて仕方ありませんでしたが、頭がいいから人見知りが強かったのかなとプラス思考で考えられるようになりました。
そのくらい彼女は素敵な成長をしてくれたのです。
もし今人見知りや場所見知りに悩んでいるママさんがいたら
「とっても賢い子なんだね」って話かけてあげたいです。
今でもある繊細な部分は彼女の長所
娘の事を褒めちぎる記事になってしまいました(笑)繊細な彼女が完全なるタフガールに生まれ変わったわけではもちろんありません。
赤ちゃん期からの繊細さは、まだ彼女に沢山残っています。
小学校に入学して1週間は1日のスケジュールが読めない事が嫌で超絶行き渋りもしましたし、味覚が繊細で好き嫌いもまだまだあります。最悪の事態を想定しすぎて行動できない事もあったり・・。
それでも知らない人には絶対について行かない慎重さを持っていますし、友達との約束も、もしものパターンをいくつか考えて隙の無い約束をしてきます。
繊細さは彼女の強みになっているのだなと思います。
もしかしたらこれから先、彼女が繊細が故に悩みすぎてしまったり心を病んでしまったり、学校へ行けなくなってしまうことがあるかもしれません。でも今の私だったら「強くあってほしい」とは思わず、寄り添ってあげられる気がします。乳幼児期鍛えられましたからね(笑)、母力ちょっとアップ!
お子さんの繊細さに疲弊し、不安を感じている親御さんがいましたら、少しでもこの記事を見て「こんなパターンもあるんだな・・!」とプラスの気持ちになってもらえますように・・!
・・・・8年前の自分に届けたいです🤣